かわら板担当のレース参戦記 第9戦富士

かわら板担当のレース参戦記 第9戦富士
 TeamJLOCは第8戦のオートポリス大会で損傷した66号車の修復、67号車の整備、そして菅生大会以来出場を見合わせていたムルシエラゴの2台88、87号車の整備に全力を注いでいました。泣いても笑っても今年最後のレースです。そして今回はこのスーパーGTシリーズが1994年に全日本GT選手権としてスタートして100戦目のメモリアル大会であり、これを記念したイベントごともたくさんあるのです。
ティームとしてはマルコ・アピチェッラ選手の復帰のお祝いもかねて、そして何よりも今シーズンの集大成として、4台体制での参戦を計画していたわけです。

 ティームは11月1日木曜日に富士スピードウエイ37〜40番ピットに3台のランボルギーニを持ち込みました。ただ66号車は2週間前の前レースでの損傷でほぼスクラップ状態で、これを修復するフロントフレームが特殊な形状なためランボルギーニ社からのフレーム到着が遅れていたのです。
しかし連日徹夜でランドエヌのメカニックたちが必死で作業したことにより何とか金曜日には持ち込めそうでした。

 明るいニュースとしてはル・マン24時間レースの事故から回復したマルコ・アピチェッラ選手が元気な姿を見せ、ファンばかりではなく関係者や他のティームのドライバー、マスコミからもおめでとうという祝福の言葉をたくさん受けていました。マルちゃん人気者です。
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 金曜日は練習走行日です。天候は曇っていますがドライコンディションです。66号車は午後の走行に間に合うかどうかというタイミングでの搬入となりますが、他の3台は元気に走り出しました。1回目の走行は午前9時10分からで、このセッションでは88号車のアピチェッラ選手が1分44秒489と好調、67号車は1分47秒台をコンスタントに出して周回しています。87号車は桧井選手からスタートでしたが、燃料系のトラブルにより3周しかせず、午後の走行に向けて整備となりました。
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 午後2時からの2回目のセッションは87号車もトラブルを解消してスタートしました。88号車はアピチェッラ選手が1分43秒745というベストラップを記録し好調さをアピール、コンビを組む山西選手もそれに迫るラップタイムを刻んでいます。

 87号車は桧井選手が1分44秒397と、こちらも問題ない仕上がりです。そして67号車は黒澤、和田、両選手共に1分47秒前半のラップで連続周回しました。残念ながら66号車は走行には間に合いませんでしたが、無事サーキットに到着し、明日の予選に向けて順調に整備が行われました。

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 土曜日は予選日ですが、朝7時30分から公開車検があります。昨日持ち込んだ66号車も含め、ティームJLOCの4台のランボルギーニは無事車検に合格しました。ドライバーは9時20分からブリーフィングがあり、全員これに出席します。このブリーフィングに欠席または遅刻すると5万円の罰金なのでドライバーはこれには遅刻せずに全員出ます。
これが終わると10時10分から第1回目の予選が始まります。はじめの20分間がGT300占有、次の20分がGT500占有、最後の20分が両クラス混走といういつものスケジュールです。

 予選が始まると88号車山西選手選手、87号車桧井選手、66号車古谷選手、67号車黒澤選手がそれぞれアタックを開始します。この結果88号車は6位に付けました。87号車は19位、67号車は25位、そして66号車も26位になりました。混走時間帯にそれぞれもうひとりのドライバーが基準タイムをクリアし、そのままの順位が確定、88号車のみはスーパーラップに進出するので順位は不確定です。
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 4台共すんなり予選通過したことで11時55分からのピットウォークは一層華やかなものになりました。今シーズン最後とあってピット前は大勢の人で賑わいましたよ!
 午後からは2回目の予選があり、この15分のセッションで4台はそれぞれセットアップを進めることが出来ました。そして午後2時25からGT300のスーパーラップが始まりました。10番手からスタートするので6番手の88号車は5番目の計測スタートです。88号車の今回のアタッカーは山西選手、僅かにコースを乱したタイムは1分42秒968でした。結果スーパーラップでの順位は予選と変わらぬ6位でした。

 日曜日も天気はよかったです。朝のウォームアップ走行は午前8時40分からで、30分間のこの走行は決勝に向けての最後のセットアップのチャンスです。ティームJLOCの4台のランボルギーニは一斉にスタートしていきました。決勝のシミュレーションで88号車は1分43秒〜44秒台、87号車は1分44秒台、66、67号車は1分47秒台のペースでコンスタントにラップを刻み、30分いっぱいを走りきってこのセッションが終了しました。
まずまずの仕上がりでしたが、則竹監督は8人の選手やメカニックを集め決勝の作戦と様々な手順をもう一度確認し、万全を期すのでした。
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 この日は10時15分からピットウォークが開催され昨日同様賑わいました。また11時10分からのチューニングカーのデモランには、和田、古谷、桧井の3選手が参加し華麗なドライビングを披露しました。

 いよいよ決勝の時間が近付いてきました。今回は100戦目のセレモニーもありますが、スタート進行は従来のままです。午後1時05分8分間の短いフリー走行がありますが、その際66号車に燃料の僅かなにじみが発見されました。しかしこれについてはグリッドにつくべく応急修理が行われ他の3台と共にグリッドにつくことが出来ました。ところがグリッドでオフィシャルと共に再度点検したところ、燃料のにじみが完全修復されていないことが確認され、急ぎピットで修理することになったのです。

 スタートドライバーは、88号車がアピチェッラ選手、87号車が桧井選手、67号車が和田選手です。そして66号車がまだピットで修理作業をしている最中にフォーメーションラップが始まってしまったのです。
 1周回ってレースが開始されました。88、87、67号車はそれぞれ6番手、19番手、25番手をキープして第1コーナーに入っていきました。それから、88号車のもの凄い追い上げが始まるのでした。4周目には5位、9周目には4位、10周目には3位、そして29周目にはついに2位まで上り詰めるアピチェッラ選手の88号車。一方87号車も4周目に16位、9周目に15位、11周目に14位、29周目には12位まで順位をあげました。もう1台の67号車も24位をキープして力走しています。
 30周走って、88号車はピットイン、山西選手がリヤタイヤのみ交換、燃料満タンでピットアウトしました。続いて87号車、67号車もピットインしましたが、67号車は、トラブルに見回れ、ピットで修理となりました。ここから後半戦の始まります。
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 88号車は11位でコースに戻りましたが山西選手の気合いの入った走りで35周目に9位、36周目には8位、37周目には7位そして38周目には5位と、順調に順位を取り戻して行きます。87号車も20位まで落ちましたが、余郷選手の追い上げが始まりました。
 また、67号車も修理を終えて黒澤選手がピットアウトして行きます。そしてこのころメカニックたちの必死の作業が実り66号車もスタートして行きました。

 ところが4位を走っていた88号車が突然止まってしまいました。駆動系のトラブル、おそらくメインシャフトの破損のようです。残念だが仕方がありません。こうして最終ラップ、87号車は15位、67号車は25位、66号車も26位でチェッカーを受けました。

 これでシリーズ順位が決定し88号車は3レース休んだにも関わらずシリーズ12位で来年もシード権を獲得しました。来年も新たな体制で頑張りますのでみなさん応援してください。


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