かわら版担当のレース参戦記 第6戦鈴鹿1000km
今年も暑い暑い鈴鹿1000kmの時期となりました。TeamJLOCはここで大きな決断をします。前回の菅生大会で87号車が決勝日朝のウォームアップ走行で炎上したことを重視し、原因追求とその対策をランボルギーニ社と協議し、対策が整うまでムルシエラゴの参戦を見合わせることにしたのです。
また、今回のエントリーはガイヤルド2台ですが、66号車はやはり菅生大会で4号車に激突され大破しており、その修復が間に合わなかったので実質的に67号車1台のエントリーとなったのです。
この件に関してTeamJLOCは、菅生大会で66号車ストップの時に、安全位置と判断し、赤旗を出さず、つまりは即時回収するつもりがないという意思決定をしたGT-Aに対し正式な抗議文を提出しました。
というわけで鈴鹿サーキットです。今回のピットは26、27番で、26番ピットにtripje a ガイヤルドRG-3の67号車、27番ピットにはディスプレー用にロードカーのガイヤルドeギアを展示しました。GTのサーキットのピットにノーマルスポーツカー展示。これはさすがに目立ちました。
今回は1000kmレースなのでドライバーは3人まで許されるので67号車の黒澤、和田選手の他に66号車の古谷選手を第3ドライバーとして登録しました。また66号車のもう一人のドライバーである栗原選手も念のため鈴鹿入りしてもらいました。
気象予報によるとこのレースウイークは天候はおおむね良好で非常に蒸し暑く選手、そしてメカニックには大変厳しいレースとなりそうでした。
金曜日は練習走行日。通常の午前午後の2回のセッションの他に今回はナイトセッションがあるので計3回の走行枠があリます。
午前9時40分からの第1回目のセッションが始まるとtriple a ガイヤルドRG-3、67号車が走りはじめました。このセッションは90分間です。
元々GT-3仕様のこのガイヤルドはもっと大きいリストリクターが許可されるという条件で参加を決定したものでしたが、今年初めのGT-A の組織変更で、その参加条件は白紙とされてしまったのです。
そして参加条件はムルシエラゴ並の重量とリストリクター。FiA GT-1仕様のムルシエラゴならこの条件で何とか戦うことができますがFiA GT-3仕様のカイヤルドでは桁外れに不利な条件なのです。
67号車tripje a ガイヤルドRG-3は黒澤、和田選手が交代して乗り、ラップタイムを刻んでいきます。結局、午前のセッションは2分14秒830のベストラップを記録して終了しました。気温が高くドライバーもメカニックも汗だくですが、今回は走り切ろうという意欲がみなぎっていました。1台のみの参加になったということもありますが、1000kmという長いレースですから。
2回目のセッションは午後2時10分から始まります。このセッションは75分の両クラス混走時間帯と15分の各クラス占有時間帯があります。この時間もできる限りセットアップを進めようとティーム全員必死です。このセッション中は気温が異常に高く、ラップタイム自体は縮める事は出来ませんでしたが、マシンとしてのセッティングは良くなってきました。
ただしクラッチの繋がりに問題が出たため、午後5時45分からの3回目の走行はキャンセルしてクラッチを新品に取り替え、合わせて明日の予選に備えて全体のチェックが行われることになりました。
土曜日はこのレースウイークで最も忙しい日です。メカニックは早朝から公開車検の準備、ドライバーも8時40分にはドライバーズブリーフィングの出席確認のため、サーキットにいなければなりません。
予選は午前10時からで、はじめの20分がGT300占有、次の20分はGT500占有、そして最後の20分が両クラス混走といういつものスケジュールです。鈴鹿はパワーがものをいうコースなので不等に小さいリストリクターでパワーを絞られたガイヤルドには厳しい条件です。
それでも時間になると黒澤選手がアタックにかかります。あまり時間がないため数周しかアタックできないですが1分15秒979をマークして和田選手と交代します、しかし、すぐに占有寺間は終わってしまいました。
混走時間帯に和田選手が1分15秒881をマークしますが、2人共予選通過ギリギリのタイムです。予選基準タイムはトップ3台のベストラップの平均の107%で、予選終了後、早速計算すると1分15秒790でした。2人ともわずかコンマ1秒か2秒不足で、1回目の予選は通りませんでした。
それでも午後からの2回目の短い予選で何とか予選をクリアし、予選を走れなかった第3ドライバーの古谷選手も含め決勝に進出することができました。
日曜日も天気はよく、非常に暑くなりました。毎年この鈴鹿1000kmは酷暑のレースとなりますが、今年の暑さは異常でした。このため GT-Aでは、ドライバーやメカニックのための医務室を設置して、いつでも点滴等の緊急治療ができるようにしていました。ドライバーもこまめに水分をとり熱中症対策を怠りませんでした。
天候は良いようですが午後から天気が崩れる予報もあり、メカニックはレインタイヤ各種はもちろん防水対策など天候変化に対応する準備もしていました。
朝9時からのウォームアップ走行は、どのティームも決勝に向けて燃料満タン状態でテストをするのがセオリーです。TeamJLOCも3選手が交替で30分の走行時間帯いっぱいを使って十数周のテストをしました。これで決勝に向けての用意は万全です。
今回はいつものレースの3倍以上の距離を走る1000kmレースで、これを完走することによって多くのデータが得られます。何としても完走するために少しでも異常があったらピットインすることと、他車との接触をできるだけさける防衛ドライビングを徹底するように3選手は則竹監督からレース前の指示を受けていました。
スタートは午後1時。スタートドライバーは若手の黒澤選手がつとめることになりました。燃費の関係で25周程度で給油にピットインしなければならないことから約1時間あまりで1スティント(ピットインから次のピットインまでの走行)、全体で6スティントのレースと予想を立てますが、天候変化や緊急トラブルでのピットインもありえるので気が抜けません。
ローリングが始まり、長く暑い1000km レースが、今スタートします。スタートはスムーズかつ順調でした。67号車は24番手から順調にスタートしていった。ところが10周ほど走ったところで、スローダウンする67号車の画像がモニターに映りました。
黒澤選手からアクセルの反応がなくエンジンが吹けなくなったので緊急ピットインすると連絡がはいりました。黒澤選手は冷静に事態を報告してきたのです。ピットインして原因を調べるとアクセルワイヤーが切れていました。
急いでワイヤーが脱着されて修理が完了し、和田選手がコクピットにおさまり燃料満タンにしてピットアウトしました。その後はトラブルなく順調に走る67号車は和田選手が2スティント連続で走るというタフさを見せつけながら、じりじり順位を上げていきました。
こうしてスタートしたレースの途中経過を追ってみると次のようになりました
500クラス250km通過時点
300クラスのトップは41周を周回していましたが、67号車は途中トラブルの修理があったので30周を終わり、順位は21位で和田選手がドライブしていました。特に問題はなく順調にラップを重ねていました。
500km通過時点
300クラスのトップは81周を周回、87号車はこの時点で66周をこなし、19位を走っていました。ドライバーは古谷選手に替わって順調でした。
750km通過時点
300クラスのトップは121周を周回していました。67号車は103周を周回して18位。ドライバーは黒澤選手から和田選手に交代して走っていました。
ところがそれからすぐに天候が変化しはじめました。雨雲情報をインターネットで見ているとかなり南に大きな雨雲が広がっていました。雨雲はまだ鈴鹿山脈にかかっておらず、しばらくは雨は降りそうもなかったのですが、、、。しかしそれから間もなくポツリと降ったと思うとたちまち雨になりました。そして西コースはすでにウエット状態になっていました。これから暗くなる上にウエットレース、コースアウトしてクラッシュするマシンが何台か出てきました。
午後7時をまわるとあたりは真っ暗になっていました。すでに雨も上がってGT500クラスのトップの車両はファイナルラップを走っていました。まもなくチェッカーが出ます。コース脇の則竹監督のまわりにはメカニックやスタッフ、レースクイーンまでが駆け寄って67号車と古谷選手がチェッカーを受けるのをまっていました。
そして午後7時4分過ぎ、チェッカーフラッグが振られる中、67号車triple aガイヤルドRG-3が豪快にチェッカーを受けて走り去りました。ティーム全員握手しあって完走を喜びます。泣いているスタッフさえいます。鈴鹿の暑くて長い一日はこうしてハッピーに幕を降ろしたのでした。