かわら版担当のレース参戦記 第3戦富士

かわら版担当のレース参戦記 第3戦富士
TeamJLOCは、第2戦岡山大会に続き体制を整えて第3戦富士500kmに臨むこととなり、5月1日火曜日に富士スピードウェイに乗り込みました。42番ピットには前回4位8ポイントを獲得した87号車マルホンムルシェRG-1、43番ピットには開幕戦で4位8ポイントを獲得した88号車アクティオムルシェRG-1、44番ピットには前回初完走を果たした66号車triple a ガイヤルドRG-3、そして45番ピットに67号車triple a ガイヤルドRG-3がそれぞれ入りました。

 今回は普段の300kmレースではなく500kmの長いレースとなるため、より信頼性の高いマシンが要求されます。ムルシエラゴ2台については燃費が悪いため、どうしても2回ピットに入ることになりますが、他のティームは1ピット作戦も考えられるため、どう作戦をたてるのかが重要になってきます。
 66号車と67号車については今回も目標は、予選通過と完走ですね。

 2日水曜日に一時雨がありましたがその後の予選、決勝日はよく晴れて気持ちのよいコンディションが予報されています。ガイヤルド2台はオレンジがより明るくなったカラーリングになり、きっちり走れる状態に仕上げられていました。
水曜日の練習走行は午前中と午後の2回。1回目は午前9時からの90分間で4台揃って走行を開始しました。天候は曇りでまずまずのコンディションです。

かわら版担当のレース参戦記 第3戦富士
 88号車アクティオムルシェRG-1はアピチェッラ選手と山西選手が交互に走行しこのセッションでクラストップの1分43秒039のベストラップを記録しました。
 87号車マルホンムルシェRG-1はややセッティングが煮詰め切れず1分44秒632という記録、66号車triple a ガイヤルドRG-3は1分50秒133、67号車triple a ガイヤルドRG-3は1分51秒698というベストタイムでした。

 午後は2時からの75分と各クラス占有15分間の走行があります。天候は曇りのままですが路面温度が午前中よりやや高くなりました。
 88号車アクティオムルシェRG-1は相変わらず好調で1分42秒981のベストラップ、87号車マルホンムルシェRG-1は1分44秒375とどちらも午前中の記録を更新しました。
66号車triple a ガイヤルドRG-3は午前中より3秒近く早い1分47秒341を記録しましたが、67号車triple a ガイヤルドRG-3はマイナートラブルがいろいろ出たこともあり1分51秒999とイマイチでした。

 明日の予選ではムルシエラゴ2台はスーパーラップ進出、ガイヤルド2台は予選通過が目標です。この日はホテルそばの和食屋さんでごはんです。ここは昨年見つけた所なのですが巨大海老フライが目玉でひと皿2尾ついてくるのをひとり1本ずつシェアします。1本余ったので若い栗原選手が2本目に挑戦です。軽く食べていましたがその後のメイン料理が進まなかったようですね。
ホテルに帰ってスナック『め』ではル・マンの人選会議が・・・。

 3日木曜日は公開車検やドライバーズブリーフィングなど朝から忙しいです。公式予選は午前10時20分からでいつものように最初の20分間はGT300クラス占有、次の20分間はGT500クラス占有、そして最後の20分間が両クラス混走となります。
 88号車アクティオムルシェRG-1は今回はアピチェッラ選手がアタッカーです。87号車マルホンムルシェRG-1は桧井選手、66号車triple a ガイヤルドRG-3は栗原選手、67号車triple a ガイヤルドRG-3は黒澤選手がそれぞれアタックします。
 予選が始まり4台が揃ってスタート。88号車アクティオムルシェRG-1は、相変わらず好調で1分42秒515のベストラップで暫定トップ、87号車マルホンムルシェRG-1は1分43秒546で16番手となりました。
かわら版担当のレース参戦記 第3戦富士

 66号車triple a ガイヤルドRG-3は1分49秒562で26位、67号車triple aガイヤルドRG-3はまたもマイナートラブルが出て1分51秒833で1回目の予選は不通過となってしまいました。
 午後の2回目の予選では何とかこの67号車を予選通過させると共に、そのあとのスーパーラップでは88号車がトップの座を守れるのかが焦点となります。
 2回目の予選は午後3時10分から15分間がGT300クラス占有で、この短い時間内に2人の選手が予選通過タイムを出すには、数ラップで結果を出さなければなりません。予選が開始されるや和田選手がスタート。何とか1分50秒台を出したところでピットインし黒澤選手に交代してピットアウトしましたが、すぐにGT500のボードが出て結局計測できずに終わってしまいました。
 一方スーパーラップは88号車アクティオムルシェRG-1はスーパーラップもアピチェッラ選手がアタッカーです。予選タイムを上回る1分42秒前半が3台並んだ所で、いよいよアピチェッラ選手のアタックが始まる。
 第1セクターでコンマ1秒マイナスだったが、第2セクターではコンマ2秒プラスになってしまいました。運命の第3セクター、ダメかと思った瞬間、コンマ1秒マイナスの1位が表示されました。ポールポジションです!ピットでは歓声が上がり、スタッフが祝いあいました。

 記者会見でも明日の決勝への自信を語る両選手は底抜けに明るい表情でした。67号車の予選不通過については決勝日の朝のウォームアップ走行をレーシングスピードで走り切れば決勝進出が許可されるという裁定だったため担当メカニック達は入念に車両を整備しはじめました。

 この日の夕食は毎回お世話になっているしゃぶしゃぶのお店です。大きなお皿にもられた牛肉をどんどん食べる選手たちを見ているとグルメツアーですね。お代りのお皿が出てどの選手も大満足、アピチェッラ選手も大好物でポールポジション祝いを山西選手としゃぶしゃぶでやっています。この後お寿司で締めるのがこの店の習わしなのですがアピチェッラ選手は特注のガーリックライスです。
この日も深夜営業のスナック『め』ではル・マンの話で盛り上がりましたよ。

 4日金曜日。午前9時からのウォームアップ走行が始まると4台揃ってピットアウトしていきました。88、87、66号車は決勝への最後のセットアップ、そして67号車は決勝出場をかけての走行です。
 ところが開始15分後ピットインした67号車はエンジンが止まってしまう症状が出てしまいました。すぐに対応しエンジンがかかりましたが走行時間が終了してしまいました。そして結果的に決勝出場は許されずグリッドに並ぶことを許可されるのみでした。

 他の3台は無事にウォームアップ走行を終了し決勝に備えました。楽しいピットウォーク後はチューニングカーのデモラン(和田選手が参加)がありました。
 午後1時には短い8分間のフリー走行があり、グリッドに。88号車、87号車そして66号車と共に67号車もピットアウトしてグリッドにつきます。グリッドには多くのファンが入り賑やかです。88号車はGT300のポールポジションなので、前の方ですが87号車はそれよりかなり後方、そしてガイヤルド2台はほぼ最後尾で4台まわるだけでかなり時間がかかってしまいますが、則竹監督はすべてをまわって選手を激励しました。

 今回はいつもより長い500kmレースなのでこのコースを110周することになります。ゴール予定は5時過ぎで、ムルシエラゴ2台は燃費の関係で2回のピットストップをしなければなりません。1ピット作戦のライバル達とどう戦うのかが見どころです。
 ローリングラップが始まり1周まわって、長い長い500kmレースがスタートしました。GT300クラスも88号車を先頭にきれいにスタートしていきます。88号車はピットインする37周目まで1位をキープ。87号車も桧井選手が16番手スタートから36周目には、12番手までポジションアップ、さらには66号車も古谷選手からスタートし26番手から24番手にポジションアップしていました。

かわら版担当のレース参戦記 第3戦富士
 36周目に66号車がピットインし栗原選手に交替、37周目には88号車がピットインし山西選手に交代してピットアウト、続いて38周目に87号車も余郷選手に交代し戦列に戻りました。
 レース中間点である55周目には、88号車4位、87号車17位、66号車22位でしたが、1ストップ作戦の車両がピットインすると88号車は当然1位に。87号車も11位、66号車は21位になりました。
 88号車は2位以下を1分以上離していますが、これではあと1回ピットインすにはリード不足です。ところが66周目、栗原選手のガイヤルド66号車がスピンし、クラッシュしてしまいました。栗原選手は検査のため病院へ搬送される事態となりました。
レース終盤、ムルシエラゴ2台は可能な限り短い2回目のピットストップをします。88号車は燃料補給のみでそのまま山西選手がピットアウト。87号車は再び、桧井保孝選手に交代しゴールを目指します。80周目に88号車は2位、1位とは20秒差です。
山西選手はファステストラップを更新しながら追撃をはじめました。87号車は11位でこれも健闘しています。

 90周目トップとの差を14秒まで縮めた88号車でしたが、これ以上の追撃はちょっと難しくなりました。山西選手がペースアップすれば、トップのガライアも必至にペースアップするという展開です。一方87号車は10番手から1台抜いて9位となりました。
そして88号車は2位、87号車は9位でチェッカーを受けたのでした。

 アピチェッラ選手にとっては昨年の開幕戦優勝以来の、そして山西選手にとっては1999年から8年ぶりの表彰台です。表彰台の下では則竹監督以下ティームスタッフがさかんに声援を送っている。
 また心配された栗原選手ですが精密検査の結果、異常なしということでことなきを得ました。波乱の富士500kmはこうして幕を閉じたのです。


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