かわら版担当のレース参戦記 2007ル・マン24時間レース
今年もTeamJLOCはル・マン24時間レースに参戦してきました。今回は色々な出来事がありレースレポートを公開することが遅れ、ファンの皆様には大変ご心配をおかけしました。
さて、TeamJLOCは、今年もル・マン24時間レース参戦がきまり、その体制を発表しました。ドライバーは昨年の実績があるマルコ・アピチェッラ、山西康司両選手に加え余郷敦選手の3名です。選手の選考には色々ありましたがともかく今年はこういうメンバーで挑戦したわけです。
今年はメンテナンスを地元フランス、ル・マンのDAMS(ダムス)に委ねました。このティームは経験豊かであり信頼がおけます。
ル・マン24時間レースの主なスケジュールは以下の通りです。
6月2日 | 事前走行会申請確認、車検、装備品検査 |
6月3日 | 事前走行会(2年以内に参加していないものは10周以上走行義務あり) |
6月11、12日 | ジャコバンプロムナードにて公開車検 |
6月13、14日 | ブリーフィング、予選 |
6月15日 | ドライバーズパレード |
6月16日 | 朝ウォームアップ走行、午後3時決勝開始 |
6月17日 | 午後3時ゴール |
オフィシャルから振り当てられたゼッケンは今年も53番です。今年は昨年参加していない余郷選手だけが6月はじめの事前走行会の義務がありますが、ティームとしては車両のテストもかねてアピチェッラ選手と余郷選手がこの走行会に参加しました。
つまり則竹監督や私『め』は行っておりません。
余郷選手は、過去に4度ルマン参戦しており、一度はLMGT2クラスで優勝もしている人です。私よりル・マン市内に詳しそうです。また、今年はヨコハマタイヤが全面的に協力してくれることになりました。
まあ、そういうわけで事前走行会は両選手のベテランらしい走りでメニューを消化し、本戦を迎えることとなったのです。
6月10日の日曜日に則竹監督以下選手、スタッフ数名がパリに到着し、すぐにル・マンに入りました。今回は地元ダムスとのジョイントで、すでに1ヶ月前からメカニックを派遣しています。ファクトリーが近いことは何かと有利です。色々な情報を教えてもらいました。
月曜日からル・マン中心部のジャコバンプロムナードで車検がありますが、昨年同様TeamJLOCは火曜日の午後からの予定となので、月曜日はいろいろな準備のため大変忙しいのでその時間に割当てることが出来ました。
今年のティームのホテルはル・マン駅前です。昨年と違い気温は低めで非常に過ごしよく、快適。それでも火曜日の午後は夏の日射しでやや汗ばむようなコンディションとなりました。
火曜日のこの公開車検は車両はもちろん、ライセンスや装備品のチェックをティームごとにやり、それを一般観衆が見学するというものです。今年は2年目のせいかティーム全員が割とリラックスした雰囲気でした。
車検やライセンスチェック等は無事にパスして、最後にフォトセッションとなります。レーシングスーツのドライバーが3名前に立ち、車両の後ろには監督以下全員お揃いのティームウエアのスタッフ、メカニックが並びました。選手達も緊張の中にも心のゆとりがあるようで、カメラマンの注文にも笑顔で答える余裕がありました。
写真のあとはテレビのインタビュー取材があります。フランス語の質問にも流暢に答えるアピチェッラ選手、英語が得意な余郷選手も笑顔で答えます。僕も英語が得意と言う山西選手はなるほど個性的な英語を披露しています。こうして無事ジャコバンプロムナードをあとにしました。
水曜日と木曜日は予選があります。両日共に午後7時からの2時間と午後10時から2時間です。この予選はもちろんスタートの順番をきめるためのものですが、24時間レースなので順位よりはむしろ決勝に向けての調整といった色合いが強いのです。夏時間で夜10時を過ぎないと暗くならないので、それから午前0時までの2時間はナイトセッションです。
水曜日は午前10時からは監督ミーティング、午後2時から5時までは、ピットウォーク、そして午後4時からはドライバーのブリーフィングがありました。午後7時からの第1回目の予選は山西選手からスタートしました。山西選手は昨年出場したので先日の事前走行会には参加せず、今年初めてのル・マンでしたが危な気なく走り、ピットインしてアピチェッラ選手にステアリングを譲りました。
4分少々のタイムで周回するアピチェッラ選手でしたが、突然思わぬ映像がモニターに映りました。コース上でムルシエラゴが大破して止まっています。モニターは逆光のためシルエット状でよくわからないですが後部が大破しているようです。アピチェッラ選手は無事なのでしょうか。すでにレスキューがアピチェッラ選手を車内から出しているようで無線は通じません。場所が判明するのに数分かかりましたが、ユーノディエールの第1シケインのようです。メカニックやスタッフが現場に走りました。
そのうち情報が入りアピチェッラ選手は骨折などのダメージは見られないが一応検査のためルマンの病院に入院しているとのことです。
木曜日、ダムスのファクトリーに帰ったマシンはとても修理できる状態ではありませんでしたが多くのファンのためにも、また来年出場するためアピールとしても、何とかディスプレーできるようにしようということになりました。また、他にR-GTはないのかどうか世界中を探す努力が払われました。ティームのGT用車両とスペアパーツは1週間後のレースのためにマレーシアにあり、これを持ってくることは不可能だったのです。
そして実はコレクションとしてR-GTを持っている人がパリにいることがわかったのはそれほど時間がたってからの事ではありませんでした。この車両を手に入れたとしてもこの偉大なるレースはスペアカーの出走は伝統的に認められていないのですが、もちろん修理するのであれば認められることもあります。
クラッシュした車両の使える部分を残し、R-GT1台からフレームと必要なパーツを移植するのであれば。則竹監督は主催者であるACOにねばり強く相談しているのでした。
金曜日の朝、ACOから信じられないような申し出がありました。「あなた方のル・マンとランボルギーニへの情熱に感動しました。車両を用意できるのでしたら、本戦を走ってもいいですよ」というのです。則竹監督以下スタッフ一同は喜び勇んで用意にかかりました。
正直言って病院からアピチェラ選手の家族以外の面会は遠慮してくれと言われていたので「モンサンミッシェル見学に行こうか」と言ってたくらいですから、このACOの申し出はびっくりです。
パリから緊急輸送してきたのは初期のムルシエラゴR-GTでしたが、元々用意してあったスペアエンジンやミッション、それにクラッシュした車両から移植したボディ前半部が組み込まれていきました。ただしACO側からの条件も厳しいものがありました。まず土曜日朝8時からの車検を受けてパスすること。その後のウォームアップランで問題なく走ること。そしてドライバーは登録している2人で追加は認めないということなのです。
一方ドライバーは、2人で走りきるという硬い決意を誓いました。何しろ今年のル・マンは走れないと思っていたのですから。ドライバー2人は午後6時からのドライバーパレードに参加し、この喜びをファンに伝えました。このパレードは各ティームのドライバーごとに用意されたオープンのクラシックカーに乗ってル・マン市内を約1時間パレードするもので、フェンスで囲まれたパレードコースは多くのファンで埋めつくされています。
インタビュースポットでも、参加できることを喜びながら語る両選手に多くの観客から拍手と歓声が上がったが印象的でした。
パレードの後は市内のレストランで食事をしましたが、ここでも居合わせた他の客にサインや記念撮影をねだられるほど人気がありました。TeamJLOC相当ここでは有名です。
明日は2人で走るため選手達も日本人スタッフも早めの睡眠に入りましたが、ダムスのファクトリーでは徹夜の作業でマシンを作り上げていました。
いよいよ決勝日の朝です。午前7時に組み上がったマシンを午前8時からの車検に間に合うようパドック横に特設された車検場に持ち込みました。そこには生まれ変わったムルシエラゴRGT-LMがありました。
車検は無事に通りました。そして午前9時から45分間のウォームアップ走行の準備が始まります。
午前9時少し前になるとピットロードに横置きされるムルシエラゴRGT-LM。そして何事もなかったようにエンジンがかかり、山西選手からスタートします。45分しかないので10周程度しか出来ませんが、余郷選手も走りました。特に悪いところはないようです。ACO役員がわざわざピットまでやってきて、おめでとうといってくれました。
これで参加確定です。バンザーイ!!
午後3時からのスタートの準備にかかります。メカニックは徹夜しているので、少しでも眠ろうとピットで横になっています。ドライバー達はドライバーの集合写真に参加したり、サポート側との打合わせなど、あまり休めませんがそんなことは関係ありません。
スタートドライバーは山西選手に決まりました。予選を走っていないので最後尾からのスタートとなります。ル・マンの観客はTeamJLOCに対して好意的でした。最悪のアクシデントからの奇蹟の復帰を大歓迎してくれました。
スタート時間が迫ってきました。山西選手はとっくにクルマに乗り込みフォーメーションラップが始まります。コース上に斜に並べられたクルマが1台1台スタートし、そして最後尾から一番いい音を奏でスタートするムルシエラゴRGT-LM。こうして午後3時のスタートを迎えました。
無事にレースがスタートし、1周目を無事に走ってきたムルシエラゴRGT-LMがいきなりモニターに映し出されました。コース脇で止まっています。どうしたのか。どこに止まっているのか。無線が届かないところのようで情報が錯綜する中、どうやらユーノディエールのふたつめのシケインあたりのようです。
メカニックが現場へ急行します。何とか自力でピットまで帰ってくれば、もちろん修理はできます。祈るように待っている所に山西選手が帰ってきました。
ドライブシャフトが破損し駆動力がなくなったのだそうです。余りにも呆気無い幕切れ。しかし、あのクラッシュから、できる限りの事はやったという満足感はありました。来年こそはという思いを秘めて今年のル・マンはこうして終わったのです。