かわら板担当のレース参戦記(第7戦もてぎ)

かわら板担当のレース参戦記(第7戦もてぎ)

 第7戦もてぎです。ここは栃木県ですが経由地と宿泊が水戸なのでいつも納豆のイメージがあります。このレースウイークに納豆はたぶん1粒も食べないのですけれどね。というわけでTeamJLOCは、第6戦鈴鹿1000kmが、やや不本意な成績に終わったなーと考えて、この第7戦茂木までにレースカーの重点整備を施したわけです。メカニックさん頑張りました。
 ウエイトハンデは88号車、87号車共に0kgになりましたが、開幕戦優勝以後課せられた、根拠が薄〜〜い100kgのウエイトハンデは依然そのままです。前戦まではこのハンデウエイトを50kgとするかわりに、リストリクターをワンランク下げていましたが、今回はリストリクターを戻し、ウエイトを100kgとしました。
 これはリストリクターの口径を大きくし、空気流入量を増やすことで、エンジンをより高回転まで回すことで最高出力が向上するほか、低中回転域でもトルクを増やすことができるもので、重量増加よりもこちらのメリットの方が大きいとティームが判断したのです。
 やや重くなったけれど、開幕戦鈴鹿の優勝時と同じパワーを88号車、87号車共に持つことになり、戦闘能力は上がったと考えられます。また、この選択はここツインリンクもてぎのサーキット特性にも合っているのです。ポイントランキングはティームランキング8位(88号車)ドライバーランキングは88号車が9位、87号車が17位です。ポイント欲しいよ〜。

 今回は桧井選手を東京駅まで迎えにいきました。彼は自宅が広島県じゃけん、今回はもてぎが遠いので新幹線じゃけん、というわけじゃけん。(それしか広島弁知らない)桧井選手と私の自宅裏の蕎麦屋で食事、誘ったのに来なかった山西選手を拾って、途中古谷選手(今回はまた助監督)宅に。ここで古谷、山西選手が腹が減ったというので古谷選手がご幼少の頃より利用している蕎麦屋に。まあ、こんなわけで、ティームは9月7日の木曜日に栃木県・ツインリンクもてぎの26、27番ピットに入ったのでした。天候は曇りで、週末にかけてもはっきりしないお天気が続きそうです。
 この日の宿泊は水戸のホテル。このホテル実はJLOCのメンバーのKさんがオーナーなのでいつも利用させていただいています。食事はホテル近くの和食です。お刺身や焼き魚でお酒がどんどんいけます。まだ木曜日なのに完全に飲み過ぎです。ホテルに帰ってすぐにスナック開店です。最近のスナックは私の部屋ではなくスポンサーのUさんのお部屋(ツインで広いので)が多いです。ここでまたもや宴会です。

 金曜日の朝、サーキットまでの路面を見るとところどころ濡れていました。天候は霧雨状態でどんより曇っています。この日は90分の練習走行が午前・午後の2セッションあります。
 午前9時からの1回目のセッションは、ウエット路面のためレインタイヤでスタートです。すぐに雨がおさまり、やがてドライタイヤに切り替えますが、路面状態は安定せず、各ティーム共に中途半端な天候にセッティングが進まない状況です。ムルシエラゴRG-1もこの午前のセッションでは88号車が1分57秒台、87号車が2分フラットというタイムでした。
 この日は比較的ゆったりしたスケジュールなので、監督以下選手達はツインリンクもてぎ内にあるサーキットホテルまでランチを食べに行きました。この時点で路面はドライになりつつあり午後のセッションではいいタイムが出そうだと選手達の表情も明るいです。
 午後2時からの2回目のセッションは路面もドライとなり、いよいよ本格的セッティングに入ることができました。そして結果的に88号車は占有時間帯に1分55秒876というベストラップをたたき出し、この日のGT300のベスト4に入ったのです。また、ややギヤ比の違う87号車も1分57秒128のベストラップで13位に食い込み、明日の決勝が楽しみとなりました。この日は練習走行が終わって温泉好きのアピチェッラ選手に誘われて山西選手と古谷選手が温泉探しに行きましたが、行き当たりばったりのこの3選手、結局1時間半も走って温泉を見つけられず、意味のないドライブをしたのです。この日の夕食は市内のステーキハウスでサーロインステーキを。サラダから和牛ステーキまでとても美味しく、お腹いっぱいです。ホテルに帰ってからいっぱいのお腹を中和するためにアルコール摂取に励みます。

かわら板担当のレース参戦記(第7戦もてぎ)

 土曜日の朝は、湿度が高く、気温も高めでムシムシしていました。気温は27度で路面温度は35度前後、いいタイムが期待できる反面、レースマシンの中はかなり暑い環境となることが予想されます。
 午前10時05分からの第1回目の予選で10位以下の順位が確定(午後の予選終了までにもうひとりのドライバーも基準タイムをクリヤすれば)、ベスト10台は、スーパーラップでその順位を争うことになります。
 予選スタートから20分はGT300占有時間帯で、ここでのアタックドライバーは88号車がアピチェッラ選手、87号車が山西選手。スタートしてからすぐにアピチェッラ選手、山西選手共に1分55秒台をマーク、これを少しずつ更新するようにタイムアップしていきました。この結果アピチェッラ選手は1分54秒705で5位につけ、山西選手は1分55秒767というやや不本意なタイムで12位となりました。
 10時45分から20分間の混走時間帯に88号車は桧井選手、87号車は和田選手が、それぞれ予選基準タイムをクリアしましたが、87号車のタイムアップは出来ず、88号車のみがスーパーラップに進出することになりました。87号車は本当にもう1歩の所です。
 午後2時50分からのスーパーラップは55号車の失格(再車検で不合格)により88号車はここでも5位でしたが4位が確定しました。(ということは87号車は11位!本当に惜しい!!)
 この日の夕食は恒例となっているホテル最上階での豪華中華料理です。ウチのティームは中華も大好物で、特に鈴鹿とここ茂木は必ず1回は中華が入ります。非常に美味しいですね。そのままUさんの部屋にてまた宴会の続きです。参加メンバーはいつも私と監督ご夫妻とUさん。今回はドライバーはやらないので古谷助監督も参加します。まわりの部屋には申し訳ないのですが、もはや習慣となってしまっているためやめられません。中毒ですね。

 日曜日の朝は恒例のウォームアップ走行があります。今回はその前に10分間のサーキットサファリが開催されました。サーキットサファリは大型バスが数台コース内に入り30〜60km/hで低速走行する横をGTカーがレーススピードですり抜けていくというイベントでバスの中には報道関係者や各ティームのゲストが乗ってその迫力を目の当たりにするというものです。
 レースカーにとっては、ほとんど止まっているようなバスの横を、他のレースカーの動きも考えながら抜いていくのは大変に違いないのですが、何のアクシデントもなく無事このイベントは終了しました。
 9時30分からの10分間のサーキットサファリに続き30分のウォームアップ走行となりましたが、ここでも88号車は4番手のベストラップ、1分56秒936を記録。一方87号車は1分58秒292と14番手のタイムでした。これは満タン状態によるタイムであり、87号車も上位を狙えるポテンシャルにかわりはありません。
 この日のピットウォークはレースクイーンがオーバルトラック、ピット前はマシンと選手というように分かれて開催され、JLOCはどちらも大人気でしたよ。

かわら板担当のレース参戦記(第7戦もてぎ)

 決勝スタートは午後2時、一周4.801kmのコースを63周し302.463kmを走ります。ひとりの選手が2/3、つまり42周以上走ってはいけないルールです。スタートドライバーは87号車はいつもの通り山西選手ですが、今回88号車は、桧井選手が担当することになりました。
 午後1時、短いフリー走行の後、満タンに給油した2台のムルシェRG-1は、それぞれ4番と11番グリッドにつきました。気温と湿度が高く、かなり蒸し暑い状況であり、多くの選手がマレーシアのレース並みというほどの過酷な状況です。
 午後2時、いよいよフォーメーションラップが始まりました。ゆっくりと1周してペースカーがピットインするとレースがスタートしました。GT500の集団に続いてGT300がスタートラインを通過する特に問題はないようで88号車も87号車もきれいにスタートしていきました。
 3周目イエローフラッグで減速しなければならない区間で減速せず、88号車に迫った46号車が次のコーナーで強引にインに入り2台は接触してしまいました。46号車の佐々木選手は「ぶつけられた」と無線でいっていますが(TV放送で)これは佐々木選手が強引に突っ込んだことはモニターでもわかります。この接触で88号車は右フロントフェンダーの後方を損傷、46号車はその破片でタイヤがバーストし、ピットインを余儀なくされました。
 今のGTのルールでは、こういったアクシデントで、どちらか一方が損傷を受けた場合、もう片方の車両がペナルティーとなるので、88号車は自動的にドライビングスルーペナルティーを受け、このため4位から11位にポジションダウンしてしまいました。佐々木選手の無謀な行為のおかげでひどい話です。(彼のホームページには88号車のことを戦犯とまでかいてありますからこのぐらいいってもいいでしょう)

 一方87号車は山西選手の気合いの入ったドライビングで順調に順位を上げ14周目には6番手までポジションアップしていました。山西選手さすがです。17周目、最後尾からポジションアップしてきた55号車が6位で快走中の87号車の背後に迫りますが、山西選手の駆る87号車にスキはなく、横に並びかけることも出来ません。ここで55号車光貞選手が強引に横に並び87号車をコースアウトさせてしまいました。これは完全にアンフェアなドライビングであり、即刻55号車にはドライビングスルーペナルティーが課せられました。弾き飛ばされた87号車はそれでも9位というポジションで走り続けました。
 20周目、今度は88号車から無線が入りました。電気系トラブルのようで、エンジンが止まっているようです。残念ながらここでリタイヤ。そのころ87号車からも無線が!それはクールスーツのトラブルで冷却されず山西選手が限界が近いと報告してきたのでした。
 27周目少し早めのピットインで和田選手に交替しましたが、クールスーツのトラブルは修復できず和田選手にとって酷暑の耐久レースが始まったのです。一時20番手近くまで順位が下がりましたが、和田選手のねばりの走りで徐々に順位を上げていきます。しかし、暑さのせいでなかなかペースは上がらないようです。結局13位でゴールすることに。和田選手は、ゴール後自分でクルマから出られず、メカニックに抱えられて医務室に運び込まれました。完全な脱水症状で、両腕にダブル点滴を受けていました。

 帰りは古谷助監督とふたりでゆっくり帰ります。(山西、桧井両選手は別のクルマで早々帰路に)かたずけが終わって帰ろうとすると監督から電話が入り常磐道方面が渋滞しているとの情報が入りました。古谷助監督と共に東北道方面に行きます。さすが埼玉県人このへんの道に詳しいです。途中レストランで食事をしていたら茂木のアナウンサーや放送関係の人が入ってきてまたひと盛り上がりありましたが、クルマなのでお酒は飲めません。ていうか古谷助監督ははじめから運転するつもりはさらさらなく生ビール2杯を飲んでいましたけどね。古谷宅に酔っ払いを送り届け、自宅に帰りました。

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