かわら板担当のレース参戦記(ル・マン24時間レース、パート1)

>>6月1日

 今回はほぼ3週間にわたるレース旅行記を書かせていただきます。またいつものように私『め』の主観で書いていますので、不適切な部分もあるかと思いますがお許しください。レース本番は6月17日なのですが、私たちはなんせル・マン初心者ですから6月4日の『事前走行会』に参加しなければなりません。またそのためには6月2、3日に車両の車検やドライバーのライセンスチェックなどをさけるわけにはいきません。ですから6月1日出発するわけです。

 まずは成田発フランクフルト経由でパリへ。今回のJLOC御一行様(先発組)は則竹オーナーと山西康司、桧井保孝両選手、そして私『め』の5名です。なおメカニックの三木は5月23日からライターエンジニアリングに出向です。成田からの飛行機は右に桧井選手、左に山西選手と両手に肉団子状態で色気も何もありません。例によって私は映画と赤ワインでご機嫌でパリはシャルルドゴール空港に降り立ちました。

 ここで名古屋からの則竹オーナー、現地通訳の平島さやかさんと合流、すぐさまレンタカー2台を借りてパリのホテルへ到着です。ここでマルコ・アピチェッラ選手と合流、今夜はマルコの大好きなラーメンです。パリにある日本人がやっているラーメン店で餃子とラーメン、そしてアサヒビールで乾杯!そのあとホテルに帰り明日に備えて早速スナック開店です。何処いってもやること変わりません。

かわら板担当のレース参戦記(ル・マン24時間レース、パート1)

>>6月2日

 美味しい朝食をみんなで楽しみ、支度をしていざル・マンに出発です。空港近くのホテルからなのですが、道が全然わからなくて困りました。パリ在住のさやかさんは車を運転しませんので地図を頼りにいきました。色々人に聞いたり、他のチームの人に聞いたりしてそれでも迷い捲り、やっとル・マンについたのですが、ここでも道を間違え、さすがのマルコがキレて俺が運転するといって昔の記憶を辿って走り、さらに道に迷ったりしながらル・マンのサルトサーキットについたのはかれこれ午後2時半でした。まあここで一同気を取り直して遅めのランチをとりました。

 この日は手続きなどがあるのですが、ハンズ(非常時にヘルメットが必要以上動かないように固定する肩につけるカーボン製のもの)が必要とあってそれを買いにいったり、私はステッカー貼りなどもあり、いろりろ忙しい一日でしたがやっと夕食の時間となりました。

 ここル・マンに一軒だけ出来たという日本料理店『夢』にいきました。スタッフは全員フランス人で、ごはん粒も長く、炊いたというよりは蒸してシンが残った感じです。焼き鳥と天麩羅をたのみましたが、天麩羅は衣が細かいパン粉(味はまあまあでしたよ)でした。それでも楽しく食事を済ませました。となりの席がランボルギーニ好きな親子(父と娘)で食事中ミウラの話をしていたのを聞き付け、話しかけたら大変喜んでいました。ホテルに帰り、私と則竹オーナーと通訳のさやかさんでボルドーワインを1本空けておやすみです。

>>6月3日

 この日も手続きと車検の日です。台数が多いので2日間ゆっくりやるようです。ドライバーはコースの下見に行きます。昨年のモンツアでTeamJLOCで走ったピーター・コックス選手に自転車を借りてコウジ&ヤス(山西、桧井両選手)はコースにいきました。マルコは慣れているからか露骨にいやな顔をして自転車ツーリングを断ってました。なにしろ暑いですから、それに13キロと650メートルもあるんですからね。さらに雨が降ってきました。コウジ&ヤスが全身ウエットで御帰還です。それを見て行かなかったマルコがニヤッっと笑っていました。私は通訳もするのでマルコの気持ちをコウジ&ヤスに伝えます。『ザマアミロ』と。無事車検も終わり明日は走ります。

 この日はル・マン市内のステーキハウスで豪快にステーキ!!桧井選手はスペアリブにしゃぶりつき、他の2選手は豪快に300g以上のサーロインを完食、私と則竹オーナーは200gのヒレステーキを平らげて終了。この日はスナック『め』が深夜営業しました。お客さんは則竹オーナーただひとり、かなり真剣な話をいつものようにげらげら笑いながらしました。

かわら板担当のレース参戦記(ル・マン24時間レース、パート1)

>>6月4日

 朝早く起きてサーキットに。9時から走行開始です。この2年に走ったことない人は最低10周しないと本戦に出場できません。経験のあるアピチェッラ選手からスタート。無事に10周以上を走り、山西選手に。山西選手も無事に走行を済ませて桧井選手に交替。数周でランチタイムとなりました。TeamJLOCの専用テントで豪華なケータリングです。サラダ、パスタ、デザート。則竹オーナーと私は早くもワインの品質管理です。午後からまた走行開始。桧井選手もとっくに義務周回を終わり、選手3名で交互にセッティングを煮詰めていきます。3名とも走行ラインが完全にわかったようでタイムも4分そこそこで走ります。アピチェッラ選手が4分を切りました。速いです。

 しかし、山西選手の時に何の前触れもなく右リアタイヤがバースト!!ピットに帰ってきて山西選手しばしボーゼン。相当危なかったようです。右リヤタイヤはホイールのまわりを残してなくなっていました。フェンダーも一部が割れていました。これは大問題です。しかもそのあと走った桧井選手が走行時間終了でピットに帰ってくるとまたも右リアタイヤの一部にゴムの剥離があったのです。ピレリの担当者、本社の担当に相談する則竹オーナー。どうやらレースウイークまでに構造もコンパウンドも変えたタイヤを用意するということで話がついたみたいです。

 我々はレンタカー2台に分乗しパリへ。パリへついたのは午後10時を過ぎていました。ホテルのレストランで食事をして寝ますが、私と則竹オーナーは例によって一杯飲みました。

>>6月5日

 朝起きて美味しい朝食をホテルでとって空港へ。則竹オーナーは一時帰国します。アピチェッラ選手はイタリアに帰り、おフランスに残るのは私と山西、桧井両選手です。これから1週間はこの3人で滞在します。レンタカー1台はありますので、何処でもいけます。則竹オーナーを見送った我々がレンタカーに戻るとパトカー2台に囲まれて危うくレッカー移動される所でした。3人でめちゃくちゃな英語で「私たちレンタカー返しに来た。レンタカー返す場所がわからない。時間ない。飛行機間に合わない」と、まくしたてると、警官達は諦めてくれました。危ない危ない。

 さて今日は午後からのんびりパリ見物です。夜までにル・マンに帰ればいいんですから。通訳のさやかさんにつきあってもらい、まずルーブル美術館そばの地下駐車場に車を入れたのですがここでパリ〜ン!とパリらしい音をたてて割れたのは左ドアミラー。運転手の桧井選手の証言「地下駐車場にクルマを止めたら屈強な黒人ふたりがコンクリートの柱を押してきてクルマのミラーをかすめていったのです」山西選手の証言「柱は動かないでしょ」さやかさんの証言「黒人も柱の動く所も見ていません」私の証言「言い逃れは無理だろ、桧井ちゃん!」

 セーヌ川を船で見物することにしました。エッフェル塔やノートルダム寺院などを見て満足なクルージングでした。そのあと昼食は私の提案でムール貝を食いに。白ワインやエシャロットで味付けされたバケツいっぱいのムール貝、これうまいんですよね、特にスープが!。両選手は初体験なので、はじめはおっかなびっくり、次第にバクバクと食べていました。食後、色々お土産物を買い、さやかさんを自宅近くまで送って、ル・マンに向かいました。もう道は間違えません。ルマンまでゆっくり2時間です。

かわら板担当のレース参戦記(ル・マン24時間レース、パート1)

 途中のサービスエリアであまり美味しくない夕食を済ませてホテルにチェックイン。
今日の部屋323号室が18日まで泊まる部屋です。山西選手は223号室(つまり私の真下)、桧井選手は229号室です。今日は大人しく寝ることにしましょう。明日はル・マン市内の巨大スーパー、カルフールまで買い出しに行く予定です。

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