かわら板担当のレース参戦記(モンツァ1000km) |
●6月30日
今回はほぼ2週間にわたるレース旅行記を書かせていただきます。途中もしご不審な点があっても追求しないでください。また私『め』の主観で書いていますので、それが常識にあわない部分もあるかと思いますがお許しください。まずは成田発フランクフルト経由でミラノへ。今回のJLOC御一行様はオーナーご夫妻と山西康司、WADA-Q両選手、メカニックの三木、そして私『め』の6名、他の人は知りませんが、私は映画3本と赤ワイン5本(といっても135ミリリットル入りの)を平らげご機嫌でミラノはリナーテ空港に降り立ちました。ところが山西選手の荷物が出て来ません。調べるとフランクフルト空港に置き去りだったようで明日空港にとりに来ることになりました。
すぐさまレンタカー2台を借りてミラノ市内のホテルへ到着です。また、この日は誰とは言えませんが、パスポートやパソコン等の入ったバッグをかっぱらわれる事件が発生。みなさんミラノに限らずイタリアでは盗難に気をつけましょうね。通訳のイタリア人アンドレア君も加わりこの日は日本料理を堪能。
●7月1日
この日はフランスポールリカールへの移動日。山西選手の荷物を引き取りにリナーテ空港に行き無事ゲットすると、その足でアウトスラーダA7でジェノバ方向に南下、さらに海岸線に出るとA10をひたすら西に向かいます。左側には美しい海岸線とレーシングじゃなくレンタカードライバーWADA-Q選手が、右側には山西選手の陽気な顔が見えます。途中で簡単な昼食を済ませてモンテカルロで高速道路からおりました。
ここでレンタカー2台によるモナコグランプリの開催予定だったのですが渋滞でやるきにならず、記念写真をとることにしました。モンテカルロ見物はそこそこにして、またも高速を西に進みます。フランスに入ってもペースは落ちません。途中大規模な山火事を見学しながらついにポールリカールサーキットに到着です。ここでライターエンジニアリングと合流しました。ここのメカニックのデビットとマーカスは昨年日本にきた時に浅草で宿泊、酒を酌み交わした仲なので、気心もしれています。このふたり実はうちのキャンギャルの横山いづみさんのファンで「いずみは来ないのか」「いづみは元気か」と聞いて来ます。こういった楽しい連中ですから他のメカニックたちともすぐに打ち解けるのは、ウチのティーム特性というものです。
この日はサーキットから20分の小洒落たホテルに宿泊です。もうひとりのドライバー、マルコ・アピチェッラ選手も到着。ホテルでのディナーには元ランボルギーニのF1レースディレクター、アラン・マルゲット氏も駆けつけ楽しいひとときを過ごしました。
●7月2日
ポールリカールのテスト1日目ですボンジュール。このサーキットはF1も開催されていたサーキットですが、現在はあのバーニー・エクレストンが所有するテスト専用サーキットとなっています。一周は5.803Kmで今回はFiAGTの合同テストという感じで他のティームや別の時間帯に走る一般車(といってもエンツォ2台をはじめフェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェしか走らないスーパーカー走行会)もたくさんいてピットはけっこういっぱいです。
ここで選手達は走行練習、私は時間を見つけて日本から持って行ったカッティングシートを貼ります。今回63号車にはアピチェッラ、山西、WADA-Qの3選手、64号車にはピーター・コックス、ノーマン・サイモンの両選手がドライブしますが、今回のテストにはサイモン選手は都合で参加できず、コックス選手が参加しました。コックス選手はなれているだけあって、2分1秒台をたたき出しました。他の3選手は初めてのポールリカールでしたがアピチェッラ選手が4秒台、山西、WADA-Q選手も6秒台をあっさり出しました。
テスト終了後JLOC御一行様は美しい港町バンドールまで行ってシーフードを楽しみました。ムール貝、海老、ホタテなど非常に美味しいお食事でしたが、店が酒を飲ませる作戦なのか料理の出てくるのが遅く、案の定お酒がすすみました。ここはお値段も高かったようです。
●7月3日
ポールリカール2日目ですシルムプレ。この日はある程度プッシュしての走行テストとなりました。この結果アピチェッラ選手はコックス選手と同じ2分1秒台、山西、WADA-Q両選手も2秒台を軽くマーク、レースディレクターのライター社長も舌を巻く結果となりました。しかも3人の使ったタイヤは昨日より条件が悪かったにもかかわらずです。午後の走行をキャンセルして一行はミラノに向かいます。およそ600kmを5時間。この走行にはプロレンタカードライバーの私が担当です。無事にミラノに到着、すぐに大阪へ。大阪っていってもうちのオーナー夫妻がよく利用する日本料理店の名前です。
●7月4日
アメリカ独立記念日とは全く縁もゆかりもない私たちはこの日またもや長距離走行をしました。行く先はドイツとオーストリアの国境近く、ザルツブルグの先にあるライターエンジニアリングのファクトリーです。ミラノからA4を東に、そしてべローナの手前からA22を北に向かいます。北に向かうということは涼しくなると有頂天だった私たちに、オーストリア国境をこえると大自然が立ちはだかりました。豪雨、そして虎じゃなくて雹です。それも直径2cmほどのもので窓ガラスやボディが激しく攻撃されています。それでも何とか夕方にホテルにつきました。言っておきますけど、ナビがあるわけでも地図を頼りに行っているわけでもなく、全てウチの則竹オーナーが先導して走っているのです。ポールリカールには数回しか行ったことなく、ここレイターについても1回しか来ていないというのに何というナビゲーションでしょう。私たちはほとんど迷わずに行動しているのです。
この日はライター社長と共にイタリアンへ。ドイツなのに何でイタリアンなのかという質問には答えられませんが、ここのイタリアンはスタッフ全員イタリア人というだけあってかなり美味しかったです。量が凄いけど。おまけにサービスでアイスクリームをたっぷり出してくれたのでもういっぱいいっぱいです。
●7月5日
午前中はライターエンジニアリングを訪問しますグーテンモルゲン。ポールリカールで走ったクルマがもうありました。ここで仕上げのステッカー貼りをする私。ライター社長と打合わせをしてまたもや長距離ドライブの開始です。ライターを出たのが午前10時、午後3時にランボルギーニ社でミーティングを予定しているので飛ばします。
A22をそのまま南に下り行き着くところはモデナです。いつものようにモデナ北で高速を降りてランボルギーニ社に向かいます。ノナントーラという町を通りサンタアガタボロネーゼのランボルギーニ社についたのが午後3時10分。初めての人もいたので工場見学と美術館見学をする人、私のように社内のショップに行って新しいグッズはないか捜しまわる人いろいろです。元テストドライバーでランボルギーニの顔でもあるバレンティーノ・バルボーニも出て来ました。明日からスペインへキャンペーンのためにムルシエラゴロードスターを運ばなければならず、今週末のレースにこられないことを残念がっていました。この日はランボルギーニの副社長さんとバレンティーノと共にイタリアンレストランに。
●7月6日
この日の午前中、パルマ近くのカートのサーキットにやって来ましたボンジョルノ。ここで4ストロークの新しいエンジンをつけたカートのテストに招待されたのです。このサーキット、アイルトン・セナもお気に入りだった有名なコースです。実は山西選手は昔、来たことがあるそうで今回のマシンの開発ドライバーとも顔見知りだったのだから凄いです。山西選手は限られた時間内をガンガン走行、結局このマシンとしては驚異的なタイムを出して見せました。サーキットのオーナーからサインを求められ、照れる山西選手を見ながら私は終始この地方特有の弱発砲性ワイン、ランブルスコを飲んでいました。午後は再びランボルギーニ社に戻り、ウインクルマン社長とお会いしました。俳優のようにかっこいい若い社長さんでした。この日の夕食はモデナ市内の中華。元ランボルギーニ重役のジロッティーさんも参加して楽しい夕食でした。
●7月7日
いよいよモデナからモンツァへ移動します。モンツアはミラノから北へ15分ぐらいのところにある隣接都市です。モデナから2時間高速を巡行。ところがミラノ市内に入って高速が事故で渋滞。私たちは11時の参加申込みのために一般路でモンツァに。サインを済ませるとピットへ。凄い内装です。鉄骨で足場を組み軽量ウレタンのボードで作られている黒一色のピットはやる気にさせます。モンツァ市内のレストランでランチ。ピザとパスタです。サーキットに戻るとレースカーも到着ホスピタリティーも万全です。ところが雨が降ってくると同時にまたもやライオンじゃなくて雹です。これではテントから出られません。20分ほどして小雨になった時にダッシュでレンタカーに走りホテルにつきました。
この日夜はホテルで聞いた日本料理店へいきました。そこには日本人F3ドライバーの井原慶子ちゃんが好物のお寿司を食べていました。もちろん私は親し気にご挨拶します。なぜって彼女こそJLOC初代キャンギャルなのですからね。また、通っている歯医者さんも同じです。ところでここのカツ丼は一応カツが乗っかっているのですが玉子は見当たりません。変わった味ですが美味しかったです。
●7月8日
練習走行日となりました。この日は初のモンツァサーキット走行となる日本人ドライバーふたりは昨日すでにコースを自らの足で体験してます。64号車のコンビは走りなれているようで、日本人ドライバーにいろいろなアドバイスをしてくれます。ティームメイトですものね。この日の練習走行は1時間のセッションが2回。12時45分からの1回目のセッションは63号車満タン、64号車ガス少量の状態で開始。63号車はドライバーが3人なので交代しながらセッティングをすすめます。ランチタイムの後、車両チェックで63号車にマイナートラブル発見。しかも、これを修理中ある部分のボルトが折れ、ちょっとしたトラブルになってしまいました。結局午後4時45分からの2回目のセッションは64号車のみでした。
この日は夕方、大会本部主催の盛大なディナーパーティーがあり、アピチェッラ選手の先導で道に迷いながらなんとか会場に到着。ウエルカムシャンパンっていうんですか?あれ5杯も飲む奴いませんよね。テーブル席についてもウチのまわりのワインがかなり蒸発速いんです。それにWADA-Q選手以外のドライバーは飲んでませんからね。少人数でも快調にボトルを一本一本やっつけています。散々飲んだ後にTeamJLOCは新たな仲間として、全ティームに紹介されました。則竹総監督は記念品を授与されてご機嫌です。
明日は予選だというのに今日も私の部屋で楽しい2次会です。あ、今まで書いてませんけどこちらに来てからずっと2次会だけは欠かしていません。スナックめ○○○は繁昌しています。
●7月9日
土曜日は予選日です。しかし午前11時15から1時間の練習走行があります。63号車のトラブルは直っていましたがセッティングが遅れています。また、選手交代の練習も不十分です。1時間の走行時間の間、選手が交代しながらセッティングをすすめました。64号車はセッティングが決まっているようです。
午後5時15分からの予選はクラス分けされGT1クラスはGT2クラスト共に20分間のアタックができます。また、この予選は誰かひとりがやるもので63号車はアピチェッラ選手、64号車はサイモン選手が担当することになりました。午後5時35分、2台の黒いランボルギーニはゆっくり1周して計測に入り、1周目は2台共に51秒台。2周目サイモン選手がスピンしたようですがアピチェッラ選手が1分49秒977を記録しました。サイモン選手も再スタート。ところが今度はアピチェッラ選手が戻ってこない。無線によると最終コーナーのパラボリカでスピンしてコースアウトしたようです。結局サイモン選手は1分48秒226までタイムを縮めクラス5位、63号車は6位ということで予選は終了しました。
この日の夕食はホテル下のレストランでまたも豪快に飲み食べ捲りました。だってワインを注いでくれるお姉さんの目が色っぽいんです。メチルアルコール入れられても飲んでいたかもしれません。この日もちゃんと2次会は欠かしませんでした。
●7月10日
ついに決勝の日がやって来てしまいました。ゲストのジロッティーさんや元ランボルギーニ社社長のグレコさんも駆けつけてくれました。朝のウォームアップ走行も順調にこなし、ピットウオークも無事済ませると決勝スタート時間が迫ります。ライバルはフェラーリ550マラネロが4台、フェラーリ575GTCが1台、クライスラー・バイパーGTS/Rが2台とポルシェ996ツインターボが1台の計8台です。
レースは173周で争われますが、LMP1がラップで10秒以上速いのでGT1クラスは160周程度でレースを終えることになる予定です。1スティント30周でピットインして燃料補給する必要があるがタイヤは1回おきに交換。63号車はスタートドライバーをアピチェッラ選手、次いで山西選手、WADA-Q選手というローテーションでペースをゆっくりして完走を狙う計画。一方の64号車はコックス選手からスタートしペースを速く保ちながら途中給油のみで2スティント一気にひとりのドライバーとタイヤで走り、サイモン選手も同じ条件で2スティント行く、いわばイケイケ作戦をとることになりました。
いよいよ決勝スタートの時が来ました。ローリングスタートが切られ、両車とも順位をキープして走り、28周してアピチェッラ選手がピットイン、燃料補給と共に山西選手にドライバーを交代。32周目64号車のコックス選手がピットイン。燃料補給だけでピットアウトする。60周目に63号車ピットイン、山西選手からWADA-Q選手に交代、ニュータイヤ燃料満タンでピットアウト。64周目クラス3位に浮上していた64号車がピットイン、サイモン選手に交代しニュータイヤ燃料満タンでピットアウト。と、ここまでは順調でした。
89周目、テレビのモニター信じられない光景が!青い煙りをはくムルシエラゴ。あっ!63号車だ。それでも64号車はその時クラス2位から1位へ上がろうとしていました。その64号車がトップで95周目にピットイン。燃料補給のみで1位をキープしたままコースに戻っりました。63号車は残念だけど64号車がトップを走っているので私たちは興奮しています。それはメカニックもそうだったようで115周目に再びピットインしたがその時ちょっとしたミスをおかしてしまいます。選手交代で再びコックス選手がコクピットにおさまり燃料補給も済みタイヤ交換になった時、タイヤをとめるスピンナーを締めないうちにジャッキをおろしてしまったのです。しかも右リアの絞めが不十分でスタートしたので次の周で再度ピットインして絞め直さなければならなりませんでした。こんなわけで一度は2位に下がったもののすぐに1位を奪回したコックス選手の力走が続きます。予選に近いラップタイムをコンスタントに刻むコックス選手の64号車。レースも終盤、2位のマラネロに2周3位のマラネロに3周の差を付けて快走していた64号車がピットロードを駆け抜け134周目に入った時でした。ドーンという音と同時に青いスモークを激しく上げて止まってしまう64号車。
うわ、もったいない。後30周もすれば表彰台だったのに!ライター監督も言葉が見つからない。則竹総監督にアイムソーリーというのが精一杯でした。
完走祝い用にとっておいたビールのケースをメカニックさんたちに配ります。ちょっとほろ苦い味がしていると思います。私も運転するかもしれないので1本だけにしておきました。みんなに挨拶をして日本帰還組はミラノ市内のホテルへ帰ります。この日の夕食は例の大阪で打ち上げです。お酒が進みます。残念だったけど凄く面白かったというのがみんなの感想です。来月のシルバーストーンにも予算が許せば是非参戦したいですね。
●7月11日
帰国の日となりました。でもマルペンサ空港に午後6時なので、午前中はミラノ市内で自由行動です。私はおみやげを買いにデパートへ(月曜日の午前中はしまっている店が多いんです)それからちょっと前からミラノで目を付けているZARAというお店にいきました。私はモンテナポレオーネの日本人街?にはいきません。ランチは適当なバールでサンドウイッチを左手、ワイングラスを右手に持って厳かに済ませました。
3時にホテルで集合し、レンタカーはマルペンサを目指します。マルペンサ空港のレンタカー置き場に無事到着今回走行が3000kmを越していました。びっくりです。こうしてフランクフルト経由で翌12日午後、成田に到着しました。みんな時差ボケボケですが私は体内時計が壊れているので何とか大丈夫です。